ヨハネパウロ2世の来日 38年前のローマ法王初の日本訪問を解説

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(法王)が来日しました。

ローマ法王が来日するのは38年ぶり2度目のとのことです。

前回来日したのは故ヨハネ・パウロ2世で1981年に来日しました。当時、ローマ法王初来日で日本中がわき返ったそうです。

初めて来日した法王ヨハネ・パウロ2世はどんな方だったのか、法王が初来日した時はどんな様子だったのか、調べてみました。

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ポーランド出身「空飛ぶ法王」ヨハネ・パウロ2世

ヨハネ・パウロ2世は1978年に法王に就任しました。
前教皇ヨハネ・パウロ1世が在位わずか33日で死去したため、コンクラーヴェ(教皇選挙)により新教皇に選出され、前教皇の遺志を継ぐ形で「ヨハネ・パウロ2世」を名乗りました。

ポーランド出身です。455年ぶりの非イタリア系法王で、また初のスラブ系法王です。

当時58才で就任し、20世紀中最年少で着座した教皇です。

当時は東西冷戦の真っ最中で世界は西側と東側陣営に分かれていました。

ヨハネ・パウロ2世は当時は東西冷戦末期において、世界平和と戦争反対を呼びかけ、数々の平和行動を実践し、共産党一党独裁下にあった母国ポーランドを初めとする東欧の民主化活動を支えました。国民の90%以上がカトリック信者だったポーランドでは教皇が国民の精神的支えであり後の民主化に大きな影響を与えたとされています。そのため暗殺未遂もあったそうです。

また貧困問題・難民問題などにも真摯な取り組みを見せました。

ヨハネ・パウロ2世は世界中の各国を訪問したため「空飛ぶ法王」と称された。

訪問した国は実に世界100ヶ国以上です。

ローマ法王の初来日のスケジュール 広島と長崎を訪問

ヨハネ・パウロ2世は1981年2月23日に来日し26日まで日本に滞在しました。

ローマ法王が来日するのは当時初めてのことです。

当時実行委員会に派遣されていた方の話では

マニラ経由でいらっしゃいました。羽田空港の22番スポットに着かれました。当日は雨天で傘が必要でした。

当時の話によると日本でヨハネ・パウロ2世は4日間滞在し

2月23日 訪問当日の夕方から「聖職者の集い」信徒代表の集い」「司教団の集い」

2月24日 午前8時30分から「エクメニカルの集い」「諸宗教代表者の集い」「天皇陛下と会見」「鈴木善幸首相と会談」「教皇ミサ」「ヤング&ポープ大集会」「在京外交団の集い」

月25日 午前7日20分より「上智大学訪問」「広島市主催のローマ法王歓迎の集い」
「広島市公会堂で技術・社会・そして平和」の特別講演、「浦上天主堂での司祭叙階式ミサ」

2月26日 午前8時より「修道女の集い」教皇歓迎集会、教皇ミサ」「大浦天主堂訪問」、午「聖母の騎士修道院訪問」「恵みの丘長崎原爆ドーム訪問」「長崎カトリックセンターで離日の挨拶」

これらの行事をこなし、分刻みのハードスケジュールだったそうです。

教皇ミサは後楽園球場に特設会場を設けられ、長崎では「長崎・教皇ミサ」が開かれ、4万7000人が参加したそうです。しかも雪の降る中のミサだったそうです。

長崎空港からの離日は26日の午後10時で、気温が零下10度の極寒でだったそうです。

ヨハネ・パウロ2世は勉強熱心で、移動する飛行機の中で勉強し、訪問先の言語で簡単な演説をすることでも有名でした。

ヨハネ・パウロ2世は広島市長崎市の訪問で、「戦争は人間のしわざです」と日本語で演説し、核兵器の廃絶を訴えました。

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一貫して世界平和と戦争反対を訴えたヨハネ・パウロ2世

ヨハネ・パウロ2世は2005年に84歳の生涯を閉じました。(同時に教皇を離任)

世界百カ国以上を訪問とはすごいですよね。

ヨハネ・パウロ2世は一貫して世界平和と戦争反対を訴えていました。キリスト教は世界最大の宗教ですからそのトップが世界各国を訪問して世界平和を訴えるのですから影響は大きいでしょね。

東欧の民主化運動を支えた功績は大きいと思います。

38年前というと昭和ですね。1981年(昭和56年)当時少学生でした。学校や親には世界平和とか戦争反対は当時はよく教えられてはいましたが、キリスト教とは全く関わりの無い僕にはローマ法王のことは知るよしもなかったことです。

今回来日したフランシスコ教皇も同様に広島・長崎を訪問するそうです。

一体どんなことを語るのでしょうか。

耳を傾けたいところです。

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