唐沢寿明の若い頃の苦労に涙!特撮のスーツアクターや貧乏な劇団時代!

唐沢寿明さんはNHK朝ドラ「エール」で主人公の父親役、24JAPANでは日本版ジャック・バウアーを演じるなど今や日本を代表する役者です。そんな唐沢さんの若い頃、無名の下積み時代について紹介します。

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唐沢寿明の若い頃 特撮のスーツアクターでライダーマンを

唐沢寿明さんは小学生のころ、2時間ドラマで橋爪功さんの演技を見たのがきっかけに役者に興味を持つようになったといいます。

俳優を目指して高1のときに「東映アクションクラブ」に入ります。養成所でレッスンを受け、エキストラもするようになり、のめり込むうちにに高校も中退し実家も飛び出してしまいました。

なかなか芽が出ず不満を言っているうちに養成所もやめさせられてしまい、地方回りしている先輩を頼り「仮面ライダーショー」のメンバーに加えてもらいました。

撮影所の手伝いやバイトで食いつなぎながら「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」などの特撮番組に脇役やスーツアクターとして出演するようになりました。

「10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』ではライダーマンのスーツアクターを務めることになりました。

当初はライダーマン役の山口豪久さん自信がスーツアクターを努めていましたが山口さんの体調が悪化したこともあり、元々悪役のショッカー役として現場に入っていました唐沢さんが務めることになりました。

唐沢さんは現場で殺陣師に「ライダーをやりたいか」と聞かれて「やりたいです」と即答したらそのままライダー役をやらせてもらえたそうです。

ライダーが子供のころからの憧れだった唐沢さんは本物の仮面やライダーベルトに感激します。唐沢さんは1963年生まれなのでモロにその世代ですよね、その気持よくわかります。

ライダーマンは他のライダーと違い口元が出ているので、唐沢さんは山口さん演じる結城丈二役のビデオを観て、山口さんの表情や動きを徹底的に研究したそうです。

スーツアクターしていた頃は貧乏で食べていないので筋トレをしてないのに腹筋が割れていたんだそうです。

唐沢さんは後にスーツアクターを描いた映画「イン・ザ・ヒーロー」に主演しますが、この頃の影響が大きいのでしょうね。

スーツアクターは顔出しできない裏方的な存在ではあります。

この頃唐沢さんは忍者ショーもやっていたといいますが、忍者ショーでは客は子供ばかりだったが顔を出してステージに立てるのが嬉しかったと当時を振り返り語っています。

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劇団時代の恥ずかしい昔の芸名 素人参加番組に出演

役者としてなかなか芽が出ない唐沢さんは仲間を集めて劇団を結成して自主公演もしたそうです。

友人が立ち上げた劇団に所属した時は勝手に「SEXY KIYOSHI」というダサい芸名をつけられたそうです。「SEXY KIYOSHI」って唐沢さんの本名「潔」から来ているのですがこれは恥ずかしいですよね。

テレビの素人参加の体育会系バラエティ番組「びっくり日本新記録」に無職にもかかわらずサラリーマンと偽って出演したこともあります。

サラリーマン限定の競走に参加した唐沢さんは全力で挑み「サラリーマン通勤障害大レース」で見事勝利します。唐沢さんはとにかくどうにかして目立って俳優になる糸口をつかもうと必死だったそうです。スーツアクターのアクションなどの下積みも生かされたのでしょうが、顔を出して出演したのもよほど嬉しかったのでしょうね。

この番組に出たことがきっかけで大手芸能プロダクションにスカウトされます。しかし、歌手として売り込みをされレコード会社を回り続ける日々が続いたそうです。歌手になるつもりはまったくなかった唐沢さん、なかなか役者への道は遠いですね。

貧乏、激ヤセでショーパブでバイト(画像)

20才の頃六本木のショーパブでバイトを始めます。唐沢さんのショーは好評だったそうです。

唐沢さんは当時貧乏で食事もろくに食べれておらず「スーパーマン対キン肉マン」という出し物ではスーパーマンもキン肉マンもガリガリの激ヤセだったといいます。

客とよくケンカしたそうですがショーは認められて給料も良かったそうです。稼いだ金はスポーツジム通いなどに投資したそうです。

仕事は夕方の4時から朝の4時まで、ショーの合間にウエイターの仕事もあるのですが、接客が嫌な唐沢さんはカーテンのすき間に隠れて、見つかっては店長に蹴飛ばされるという日々だったといいます。

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俳優デビューからブレイクまで

唐沢さんはバイトをしながら映画やドラマのオーディションを何度も受け、1987年24才のときに舞台「ボーイズレビュー・ステイゴールド」で本格俳優デビューをします。

そして舞台制作を手掛けていた事務所に所属しますが、社長が橋爪功元夫人。橋爪功さんの演技を見たのがきっかけの唐沢さんですから因縁を感じますね。

このころ本名の「唐沢潔」から「唐沢寿明」へ芸名を改め、爽やか路線に変更、1988年NHK朝ドラ「純ちゃんの応援歌」出演します。後に嫁となる山口智子さんのデビュー作です。

このとき下積みの長かった唐沢さんが演技に関する山口さんの悩みを聞いたりしたことが
交際のきっかけとなります。

その後相次いでトレンディドラマに出演し認知されていき、浅野ゆう子さんに演技力を買われて彼女と同じ事務所へ移籍、1992年「愛という名の元に」でブレイクします。

その後の活躍は周知のとおりです。

おまけ 伊藤健太郎と似てる

唐沢寿明さんの若い時が伊藤健太郎さんに似ているとのことですがどうでしょう。唐沢さんは山口智子さんと結婚会見した頃の画像です。

どちらも爽やかなイケメンですね。いつか親子で共演して欲しいものです。デビュー当時の唐沢さんは爽やか路線で売り出していましたが、本人は戸惑いがあったみたいですね、普段Tシャツや革ジャンだったといいます。

唐沢さんは下積みも長く若い頃苦労されたようですね。なかなか芽が出ないながらも努力する姿は涙ぐましいです。現在の姿からはそんなこと感じさせません。

以上、唐沢寿明さんの若い頃、下積み時代の苦労についてでした。

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