瀧川鯉斗の総長時代!(画像)伝説の100対100の喧嘩とは!?

話題のイケメン落語家、瀧川鯉斗さんが元暴走族の総長だったということはご存知のかたも多いと思います。

暴走族だっただけでなく、総長までやっていたということですが、暴走族の総長の時はどんな様子だったのでしょうか。

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瀧川鯉斗の昔 暴走族の総長時代(特攻服画像)

滝川さんは小5のころからヤンキーになりグレはじめたと本人はそう言っています。中学に入ると暴走族の人たちと付き合いはじめるようになったそうです。

元々サッカーをやっていて代表に選ばれるほどの実力だったのですが、夜になると暴走の生活をしているうちに暴走族の方が楽しくなって夢中になっていったそうです。

そんな感じでサッカー推薦も出してもらえず、高校は地元のワルの集まる高校へ入学します。入学初日に先輩から目をつけられて50人相手にケンカをして一日で退学となってしまいます。

退学後は工場などで働き、溜めたお金でバイクを買って暴走に明け暮れていたそうです。

バイクはカワサキのゼファー、ホンダのCBスーパーフォア、ヤマハのXJRにカスタムパーツを付けて乗っていました。

瀧川鯉斗さんは「天白スペクター」というチームに属していました。当時、東京にもあったスペクターの名古屋天白区支部で名古屋最強と言われていました。

名古屋市内のチームは皆、名古屋の尾頭橋という集合場所に12時集合の暗黙の了解あり、他のチームをあわせて200人くらいで走っていました。

15才で総長に 伝説の100対100の喧嘩

暴走一筋の滝川さんは気がつけば名古屋では有名になっており、15才で総長になったそうです。

総長に認められるには運転テクニックや集会への参加頻度、気合い、フカシ方が上手い、など色々あるそうですが、ガタイがよくサッカーをやっていたので身体能力もあった滝川さんは喧嘩も強く、みるみる頭角を現し12代目総長へまで上り詰めます。

当時、名古屋の暴走族と三河の暴走族は仲が悪かったのだそうです。それでとうとう対決することになります。

夜中の平和公園にお互い100人ずつ集まり対決します。(場所が平和公園って・・・)
もみ合いになりますが、ラチがあかなくなり総長同士で1対1のタイマン勝負をすることになりました。

なんでも愛知では「尾張の信長と三河の家康の戦いを暴走族は引き継いでる」という言い伝え?があるらしいんですが、ホントかな?というか何の話?

総長の滝川さん尾張代表としては三河代表の総長を負かして見事勝利します。こうして総長としての地位を固め伝説の総長となります。

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総長を辞めて上京 落語家へ

こうして滝川さんの名は知れ渡り名古屋では知らない者はいなかったそうです。喧嘩が強くおまけにイケメンなのでとてもモテたそうです。バレンタインにはバイクにはチョコレートだらけだったとか。

しかし滝川さんはある日「このままじゃダメだ」と気づきます。総長の座を降りて、彼女もいましたが別れ、役者になる決意を固め上京します。そして落語と出会います。17才まで2年総長を勤めました。

・・・とまあ、僕ななどから見たらもう漫画の中の世界のような話です。

面白いのは総長に認められるには運転テクニックや集会への参加頻度といった、それなりの基準があるということが興味深いです。暴走族にもそれなりのルールというか秩序はあるのですね。もちろん暴走族を肯定するつもりはありませんが。

滝川さんは後に語っていますが、暴走族は走り出す時間が決まっているので時間には厳しい縦社会だ、そんな経験から時間厳守と礼儀には自信がある、そう語っています。

入学当日に50人を相手に喧嘩とか、100人対100人の喧嘩とかちょっと本当かよって気もしてならないです。

僕は昔バイクに乗っていたときはもっぱら一人で走っていました。大勢で走るのってちょっと考えにくいです。最近ではそのような暴走族は昔ほど聞かなくなっていますが、以前バイクで走行中に後ろから何十台も迫ってくる音を聞いた時は超ビビりました。

滝川さんが「このままじゃダメだ」と気づいたのは正に神のお告げだったのでしょうか?

異色の経歴で興味深い人物です。

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