志村けんさんの追悼番組で数々のギャグを拝見しとても懐かしく思いました。8時だョ!全員集合が放映されていたころ僕は夢中に見ていました。僕の小学生時代、全員集合は志村さんの全盛期でモロに世代でした。
当時を思い出しながら志村さんのドリフ・全員集合時代のギャグについてまとめてみました。
志村けん 8時だョ!全員集合の持ちネタ・ギャグ
志村けんさんは当時いかりや長介さんの付き人でしたが先輩・荒井注さんのドリフターズ脱退を受け、1974年24歳であった志村さんがメンバーに加わり、『8時だョ!全員集合』での活躍がはじまります。当初はあまりパッとしませんでしたが加入2年後、最初のヒットギャク「東村山音頭」でブレイクします。
東村山音頭
志村さんの出身地、東京東村山市の「東村山音頭」は実際に存在しますが、その曲をネタにしたものです。4丁目、3丁目は詞もメロディも原曲が元に作られていますが、1丁目は志村さん作詞作曲のオリジナル。
4丁目半被姿→3丁目浴衣→1丁目で白鳥の衣装など、毎回奇抜なファッションで登場、イッチョメ、イッチョメが毎週楽しみでした!
また、これで東村山市が一気に有名になりました。
カラスの勝手でしょ
童謡「七つの子」の替え歌。合唱団のコーナーやコントの劇中にカラスのぬいぐるみが登場して「カー、カー」と鳴くのを合図に志村さんが「さん、はい」と合図してみんなで合唱します。
こんな単純なフレーズで、何がそんなに面白かったんだろうと思うんですが「その通りだよな〜」というところかな、よく真似しました。
これ以降、童謡「七つの子」を聞くたびに笑ってしまうのですが、童謡の替え歌ネタは他にもありました。
童謡「ぞうさん」の「かあさん」の部分を「◯ん◯ん」に替えて歌っていたものもありました。苦情があったため2週で「そうよ、短けりゃ、ブタなのよ」という歌詞に変更されたそうです。よく覚えているんだけどな〜w
これは大爆笑しました。子供はこういうの大好きなんですよねw
宮崎美子・ピカピカに光って
当時宮崎美子が出演して反響を呼んでいたミノルタカメラのCMのパロディ。CMソング「いまのキミはピカピカに光って」をBGMにはにかみながらTシャツとGパンを脱ぎ始め女性が水泳するときの姿に。最後に腹の肉を掴んで「みやざきよしこー!」と一言。
志村けんさんは宮崎美子さんの大ファンだったそうです。
ピッカピッカの一年生
これもCMを元にしたネタですが加藤茶さんとのコンビのネタです。学校コントでよくやっていました、
「俺たち〜かな?」
「わかりません!」
「ピッカピカの〜一年生♪」最後に「ビシッ!」とポーズを決める。
小学館「小学一年生」のCMが元ネタ。最後にいかりやさんに「やめなさい」と突っ込まれます。
「あんだ、バカヤロー!」
いかりやへの反発の意思表示で主に使うフレーズ。元は荒井注のギャグにアゴと肘を突き出し猪木風になっています。
「おこっちゃヤーヨ!」
いかりやを怒らせた時に肘を前に突き出すポーズをして独特の高い声で言う。後の「アイーン!」の原形とも言えます。
「お前、それはないだろう」
これも横暴ないかりやさんに対しての反発手段の一つで、立場が上のいかりやさんにあえて偉そうな口調で言う。モノマネをしていた橋幸夫っぽく言います。
スイカの早食い
スイカを異常に早く食べる芸。夏場よくやっていました。親に真似しちゃいけないとよく言われました。実は仕掛けがあり見えない裏側をくり抜いてあります。
コントにもスイカはよく出てきましたね。
食べ物を粗末にしているとよく槍玉に上げられていましたが・・・
勝手にシンドバッド
当時のヒット曲、沢田研二さん「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバット」を交合に流しそれに合わせ振りを踊っていき無茶苦茶になっていくというもの。
「勝手にしやがれ」は帽子を投げたり、「渚のシンドバット」は激しい振り付けだったり、特徴的でしたね。沢田研二さんやピンクレディーもよく全員集合にゲスト出演していました。
サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバット」は桑田佳祐さんがこれからヒントを得てが作りました。
志村けんと沢田研二の鏡コントがスゴい!若い頃顔が似てる(画像)
魅せられて
こうれも当時のヒット曲をネタにしたもので、ジュディ・オングさんの「魅せられて」のパロディ。両手を広げる振りや衣装の演出が当時話題になっていました。
志村にバックライトが当たり体型のシルエットが浮かび上がるというものです。
アー・ミー・マー
アー・ミー・マーは英語の一人称変格(I MY ME )のデタラメな用法、
ア〜ミ〜マ〜、ユ〜ヤ〜ユ〜、匕〜ホ〜ヒ〜、シ〜ハッハ〜と続きます。学校コントの英語授業でよく使っていました。
正直当時小学生の僕には聞いていても何のことかよくわからかったですw
人形劇「飛べ!孫悟空」の呪文でも使われました。
ヒゲダンス
加藤茶さんとのコンビネタ。
二人共ヒゲとタキシード姿、テーマ曲にのって独特のダンスを踊りながら登場し、
セリフはほとんどなく、様々な大道芸的な技に挑戦していくというもの。
りんごを放り投げて剣に刺す、水の入ったバケツを回すなど、どの芸もかなり成功率が高かったように記憶しています。相当練習したんだろうな。失敗したとき小さく踊るダンスも可笑しかったw
このダンスもよく真似をしました。
BGMはテディ・ペンダーグラスの「Do Me」が元になっているそうです。志村さんが探して出したそうなんですがセンスありますね。
最初はグー
仲本工事さんとのじゃんけん決闘。西部劇スタイルの二人が決闘がつかないので「最初はグー」の掛け声でジャンケンで決闘します。
負けた方は罰ゲームとしてズボンの中に墨汁を居れられたり、頭の上で水風船をわられたり、透明ケースを頭に被せて多量の粉など、回を追うごとにエスカレートしていき、毎回大爆笑でした。
これがきっかけで「最初はグー」の掛け声は世間に普及します。
志村さんが飲み仲間で大勢でじゃんけんしたときになかなかタイミングが揃わないことからこの方法を考えついたそうです。「最初はグー」は全員集合が発祥だったことは今の若い人たちは知らないみたいですね。
ディスコ婆ちゃん
婆さんのカツラ姿で当時のディスコ風BGMに乗り、踊りながら時折志村さん独特の高い声「あーあっ」とか「ゲッ!」とか叫び、最後は「サンキュー」で締めます。
のちのキャラネタ「ひとみ婆さん」の原形があります。
志村けんのドリフターズ加入
という感じでまとめてみましたが、もっとあったんじゃないかな?って気がします。細かいものを入れていけばもっとあったでしょう。
コントで一番好きだったのが志村さん探偵・金田一耕助に扮して活躍したお化けコントでした。
志村けんさんの背後に危険が迫り本人が気が付かず、「志村!うしろ!うしろ〜!」っていうのも定番でしたが、これは志村さんのネタというより観客の子供のセリフですね。
あと桜田淳子さんとの夫婦コント、「私ってダメな女!」とか面白かったです。バカ殿様はドリフ大爆笑のネタになるのかな?
思い出していくと尽きないです。
志村けんさんが荒井注さんに変わりドリフに加入したときは最初は誰?っていう感じでした。そのころは加トちゃんが好きで加トちゃんを楽しみに見ていたのでそんな感じでした。
志村さんがどんどん活躍するようになりアレ?いつの間にか一番人気になっているぞと、当時見ていた印象はそんな感じでしたがまたたく間に虜になりました。
当時は土曜日の八時が待ち遠しくてしょうがありませんでした。月曜日はいつも全員集合の話題でいっぱいで、学校では上記のギャグをいつも真似をしていました。志村さんのギャグは今でもよく覚えています。
リアル小学生が志村さんの全員集合全盛期だったことはとても幸せなことだったと今思います。
志村さん、どうもありがとう!
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