鈴木杏樹さんと喜多村緑郎さんの不倫報道で注目されるようになった元宝塚の女優の貴城けいさん。
貴城けいさんは2007年2月に宝塚歌劇団を退団しました。
当時宙組のトップスターに就任してから一作の本公演のみでの退団をしています。
トップスターは通常は就任して数年在任しての退団となりますが、わずか一作のみの退団は異例です。
その理由について調べてみました。
宝塚トップ本公演がー作のみでクビ?
宝塚では各組の男役トップスターは人気や実力のある人が、だいたい入団して10〜15年目で就任することが多いです。もちろん数年で就任する人もいます。(天海祐希さんは最速の7年目で就任しました。)
トップスターになると大劇場で4〜10回ほどの公演をして数年在任して退団します。
貴城けいさんは2006年7月に宙組トップスターに就任して翌年の2月に退団、本公演作品は一作品のみ、在任はわずか7ヶ月という異例の短さでした。
ちなみにその作品は『維新回天・竜馬伝! -硬派・坂本竜馬III-/ザ・クラシック-I LOVE CHOPIN-』です。
貴城けい宝塚退団の理由は肩たたき?人事問題?
当時の週刊新潮の記事によりますと・・・
実力があっても人気が今ひとつだったり、次にスター候補がいる場合、活性化を図るために人事が起こるとのこと。
宙組トップは貴城けいさんの前は和央ようかさんが勤めており人気があり長期在任でした。
在任6年2ヶ月と在任していますのでその人気が伺えます。
また、後任には天海祐希以来の大物といわれていた大和悠河が決まっていました。
その間に入った貴城けいさん。
人事上の肩たたきにあい退団したとのことです。
また、当時の理事長小林公一氏と前理事の植田紳爾氏が対立していたという噂がありました。
植田前理事長は「ベルサイユのばら」の演出家です。貴城けいさんは植田氏に育てられました。
理事長が植田氏から小林氏にかわり、貴城けいさんは後ろ盾を失いました。
貴城けいさんは小林新理事長のプランには入っていなかったために退団する羽目になったとのことです。
要するに上層部の権力争いに巻き込まれたということです。
ちなみに週刊新潮の記事タイトルは「悲しき宝塚宙組トップ本公演たった一回で肩たたき」でした・・・なんてタイトルだ!
退団会見での「お葬式」発言とは?原因は劇団側に
貴城けいさんは退団会見に黒い服を着てきたそうです。
理事の小林氏になぜ黒なのか理由を聞かれた時に貴城さんは「今日は私のお葬式ですから」と答えたそうです。
もし本当だとするとやはり、上層部の権力争いに巻き込まれたという説が有力のようですね。
実は一作退団は貴城けいさんだけではなく、2002年に雪組だった絵麻緒ゆうさんもありました。
貴城けいさんは雪組で育ってきた人ですが雪組から宙組へ組替えされてのトップ就任でした。
本来なら雪組でトップに就任するのが自然の流れですが、雪組から続けて一作退団を出すのを避けるためとも考えられます。
貴城けいさんの一作退団は最初から既定路線だったのかもしれません。
当時は上層部での人事システムの改善などが頻繁に行なわれていたようですが、上記の様々な要素が重なり合い退団したように思われます。
貴城けいさんの退団理由は貴城けいさん自身の問題ではなく劇団側の問題であったと考えてよいでしょう。
感想
この貴城けいさんの退団は劇団側へファンから激しい非難があったそうです。
トップスターに就任するのはかなりのプレッシャーかもしれませんが、今までの努力が報われることでもあります。
また、ファンも同様に自分が応援しているスターがトップになるのをどれほど心待ちにしていたことでしょう。
それを人事上の理由や権力争いで不本意な形にしてしまうのはファンにはとても許せないことでしょう。
劇団ならそういう経営上の問題よりもお客さんに夢を売るための努力をもっとしてほしいものです。
それにしても「今日は私のお葬式ですから」と答えたという貴城けいさんは気骨のある人だと思います。
以前僕も会社の人事には色々振り回されました。
色々耐えられなくなり、安易に文句を言ったりして、顰蹙を買ったこともあり、色々失敗しました。
公演ー作での退団を受け入れての就任だとしたらおおらかな人だと思います。
以上、貴城けいさんの宝塚退団についてでした。
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